父の日に。-とりとめのない話-
先月書いた「押し入れを片付ける。」の最後で、昔父親から送られた箱の写真を載せ、「これを見つけるために片付けた…?」みたいに結びましたが、今回は(小っ恥ずかしいですが)その話をちょっと。。。
…ま、父の日ですし(笑)。
これがその箱。衣料品メーカーの箱ですが、サイズが丁度良かったんでしょう。それと、お手紙。
1996年5月か…。もう24年も前ですね。今僕は50なので、ほぼ半分のトシ…(汗)。
この当時、僕はすでに立原あゆみの弟子として6年、…立原作品でいうと「本気!50巻(ラスト)」の頃ですが…そこそこアシ仕事もやれるようになって、夜な夜な飲み歩くのが楽しい頃で、師匠のお付きの後、遅くまで近所のスナックへ…なんて日々を送っていました(すいません)。。。
その頃実家とは、東京-千葉と、遠いわけでもないので尚更足が遠のいていたのは否めません。まして20代半ばの僕は、楽しい時間が優先してしまいます(修行中の身だし)。
父親はこの時すでに闘病中で、余命を宣告されて1年近く経ってた頃だったと思います(ただ、本人には知らされてなかったそうですが)。…それなりに、こっそり送金したりもしてまし、(親父に気取られない程度に)顔も出してました。…一応言っておきますが(汗)。
そんな折、届いたものでした。
中身はというと(笑)。
当時55歳だった父が、闘病中に思い付きで始めた趣味だそうで、板に粘土で半立体な風景を表現してるものなんですが…(汗)。
こんなの、どーせえっちゅうの!…(汗)
手紙に同封された写真を見ると、いくつも作っていたうちの一つを送ってきたようでした。
「心配かけていたが、体もすっかり良くなり、通院の回数も減って病院とも縁が切れそうだ」みたいな手紙だったんですが、その後…親父の気持ちとは逆に進んでしまうんですけどね…。
亡くなったのはそれから2年半後の12月、58歳になってすぐのコトでした。
…さて、押し入れで眠っていたこの立体画、正しくはこう見るのです。
親父によれば場所は相模湾。小田原の米神(こめかみ)あたりから真鶴半島を眺めてるのだそう。
釣りが好きだった親父らしい“楽しい出来栄え”ですが、よく見てみると、造形的にも絵的にも目を見張る箇所があり、ちょっとビックリしてます。
まず目が行ったのは、釣り人。親父本人の欲求が良く出てますが、そう見えるのは、人形の自然な佇まい。
足の踏ん張り具合・反らし方・竿のしなりと『力の作用する表現』が的を得ている。しかも半立体という特殊な条件下(画面に対してこんなに斜めってる状態)で上手いこと成立している点。(釣り糸の張りがなくなってるのは経年劣化?…)
さらに細部を見ていくと…
彩色についても、風景が遠くになるに連れて薄くなっていくところや、山の稜線の向こう(奥の山との接点)をさらに淡くボカしてるところなど、絵を描くテクニック的にもツボを抑えている感じ。
長く伸びる(おそらく)国道135号の下、漁港の船揚げ場らしい表現と海への色使いは、子が言うのも変ですが、上手いなと。
唯一、スケール感を無視した巨大魚(笑)ですが、キンキかキンメか…?赤すぎるのでタイではないでしょうけど。平面に筆で書いただけの波しぶきもそれっぽく見えるじゃないですか。
…野花はご愛嬌(笑)。
ひっくり返してみると…
この辺も親父の性格が出てます(笑)。たぶん、似てると思います。こーゆーとこ。
ただ、これだけじゃちょっと、イマイチ伝わらないかと思い…思い出したように、お袋にメール。
できればその写真を撮ってメールで送ってほしいなと思って。
自分のブログのネタに、ちょろっと使おうかと思っただけなので無理なら別に構いません。
ガラケーのお袋に写メ撮って送ってくれと頼むのも、少々気は引けたのだけど、しばらくコロナのせいで距離もあったし、安否確認代わりに…と、ほどなく返信が。
正直、期待してなかったので、レスポンスの良さについつい追加注文してしまったのだけど、どうも僕の注文通りには撮れないと判断したようで、何度かチャレンジした末…
う〜ん、それもアリか。
後日、届いた木彫りの「鯉」。届いてすぐの状態をちゃんと撮っておかなかったので比較しようもないんですが、とりあえず長年の汚れを…
玄関に飾ってあったとは言え、ほぼ放置だったので、それなりに汚れてます。まして昔は親父もお袋もタバコ吸ってたし… 掃除用ハブラシで埃をとり、水拭きで磨くように…。
全部水洗いして、ニスを塗り直そうかとも思ったけどやめました(笑)。
もう、だいぶ昔の事なので記憶もあまり無いのですが、この鯉は多摩川で釣ってきたのを何年も狭い水槽で飼って可愛がってたヤツだったかな?…確か。違ったかな?…それより前?…
とにかく、こんな一枚板に鯉だけでも55cmある彫刻をするんだから、手の込んだコトするのが好きだったんですね。…今にして思えば僕が子供の頃、寝る前の時間とか親父がよく “ルアーの自作” とかしてるの見てたっけ。
左上の「悠」の字。この鯉に名前を付けていたのかどうかもわかりませんが(笑)僕の5歳離れた弟の名前に使おうとしていた字だった、とは聞いたことがあります。当時はまだ名前に使えなかったそうですが…。
…ということは、この木彫りは弟が生まれる前に作ったものか?… もしくはそれに近いくらい古いはず。物心ついた時には壁に掛かってたように思うし…。
「悠」:ゆったりと落ち着いたさま。はるか。遠い。…などの意味だそうです。
思いがけず、押し入れから飛び出してきた昔の親父は、今僕がこんなことしてるのを笑ってるかな?…いや、オレも混ぜてくれよと出てきたのかも(笑)。
親父の手先が器用なのは、子供の頃から知ってましたが、絵を描くイメージは無かったので、こうして改めて見てみると、こんな僕は、この親の子だなぁw。
そんなワケで、鯉の方は置き場所に少々困りつつ、玄関に。
立体画は作業部屋のドアの上に。
一緒に遊ぼうぜ、父ちゃん。…って感じですかねw
正月のお屠蘇ひと舐めで真っ赤になってしまうほど、親父はアルコールがダメだったので(笑)ドラマやCMで見るような親子で飲む時間は無かったけど、そこは今…師匠とゆっくり過ごしてます。
@atorie_fake